ミスばかりする社会人が生きているのはミスが許されない社会だと言う矛盾
多少のミスなんて、だいたい笑って許してくれる。というよりか、世の中はミスばっかりだ。大人もみんな毎日間違ってばかりだ。
社会に生きている人がミスを許してくれるとしても、社会や社会を構成するあらゆる会社はミスを許さない。
だから、場合によってはミスをしたら謝罪やお詫びを会社として出さないといけないし、回りくどい対応策やテスト手順を設ける機会を生み出してしまう。
そこまで始末を終えて、ようやく周りの人は許してくれる。
そうやって、ますます社会に即したルールに縛られて、何十回、何百回、何千回に1回しか役に立たないような詰まらない仕事が生み出されていく。
また一つ今日も詰まらない社会になってしまった。その繰り返しだ。
迅速に挽回しても、そのことは褒められない。日本社会にとってミスは絶対悪なのだ。
悪いことをして怒られる。いや、当たり前やんけ。
と思う人もいると思う。僕も当たり前だと思う。
でも、当たり前じゃないことが平気でまかり通っているのが社会だ。
良いことをしても褒められない。
これはなかなか辛い。社会と言うのは、お金をもらって終わりなのだ。
もちろん形式的にお礼を言うだろうけど、どこが素晴らしかったかを正確に褒めることはできない。
自分のやる仕事の価値を分からない人間相手に仕事をして社会は成り立っているからだ。
でもそんな客でも悪いことは分かる。
あからさまなミスは言わずもがな、客によっては認識がずれすぎていて、どうあがいても悪いレベルに取られてしまうケースすらあるが。
要するに何に文句を言いたいって、頑張って社会に適応して生きてみて得られるポジティブなことの割合の方が少ないってことだと思う。
責任と義務はいくらでものしかかる。ところがそれを乗り越えた評価と見返りは一致しない
働いてお金は貰えるようになったが、働くまで使っていなかったお金の消費が増えた。
週5日を社会のために犠牲にして、週2日個人の時間を貰う。マイナスじゃねーか。