学ぶ意思のない人が通っているのは大学に限らない

ので、大学に行くことを批判するのに使われてもと思ってしまう。

「とりあえずみんなが行くから」

これって大学に限らず小学校から高校までの道のりだって、同じようなレールで成り立っているはずだ。

「大人になってから勉強が役に立つ」「大人になったら勉強する暇がない」「大人になってから親に感謝する」

大体どこの教師も自分が教えている瞬間の生徒を見放して、無責任にこんな感じの台詞を言っていたけど、そこそこ大人になったはずの僕から言わせてもらえば、はっきり言って努力不足や思考停止した人間が信じる自己暗示的なくだらない思想に聞こえる。

義務教育に属する小学校や中学校時代には、形式的に将来なりたい職業について考える時間も設けられていたけど、結局はその場限りの嘘でもいいから答えを出せよ。みたいな感じで終わる。

そう言う教育の雰囲気が僕は大嫌いだったし、今も嫌いなままだ。

ほとんどの人にとって大学は不要であるにもかかわらず、そのほとんどの人が大学に行くことで、個人にっても社会にとっても無駄ばかりが生まれている、と考えている。

じゃあ聞くけど、社会に出てしまえば無駄なことはないのか?

偉ぶった上司がいるとかで人間関係が面倒くさいとか、効率の悪い業務体系だったり、単純に休みのないブラック企業だとか。

せっかく社会に出ても、会社に属しても、本職に関係のない無駄なところで愚痴を言う人間を目にしていると社会なんて馬鹿が生み出す無駄ばかりじゃないかよ、って思うけど。

そんな風に大学に行く意味ってどこにあるのだろう?モラトリアムにしては、4年間は長すぎるし、学費は高すぎる。働きながら(アウトプットしながら)学ぶ方がよほど身になるだろうとも思う。

うーん、働きながら学べるような仕事ってどれだけあるのだろう?

多分、筆者はクリエイティブ(笑)な仕事についているから言えるんじゃないかな。僕自身もそう言う業界にいるから、ともすると勘違いしてしまうけど。

残念ながら世の中って、凄くくだらない仕事であふれているのも事実だし。

それに簡単に働けって言うけど、社会に貢献するのが義務だなんてよく分からない名目で週5日ひたすら拘束なんてされたら、未来について考えるための思考なんて停止してしまうよ。

上手く言えないけど、もやもやする。

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