一般論と事実と真実めいたもの
例えば、「日本は平和です。」って言う一般論がある。
でも実際は「毎日、凄惨な殺人事件が起きている。さらには老人が起こす自動車事故があり、若者は鬱で自殺をしている。」と言う事実がある。
だからこそ、先に述べた一般論に対して反感を示す人がいるかもしれない。
となると、「日本は世界的にみると比較的平和なんです。」と言う方が、真実に近い言い方になるのかもしれない。
しかしながら、将来的にあるいは過去の時代を引き合いに出されると話が変わってくるかもしれない。
つまり、「2017年1月22日現在、日本は世界的にみると比較的平和ですよね。」と言った方が、より説得力のある真実めいた言い方にできるかもしれない。
馬鹿らしい言葉遊びにしか聞こえないかもしれないけど、このあたりの一般論をあたかもこの世の真理みたいに感じて、日々を過ごしている人間が一定数いる気がする。
いわゆる教養の低さと関連してくるのだけど、考えることをしない人間だ。
彼らは常識や一般論を刷り込む義務教育や、テレビの影響を存分に受け、あたかもそれが社会における真理であるかのように思い込んでいる。
感情を持つ人間は単純化できない生き物だし、その集合体である社会について真理を定義するのは難しい。いや下手したら定義する真理すらない。
だからこそ、共通認識できそうな一般論を真理に近い妥協点にすることで円滑にことを進めようとするのかもしれない。
それは分かるけど。理解できるけど。
人間を考える葦だとするならば、考えない人間は人間じゃない。
もはや社会の一部に取り込まれた人間じゃない彼らと一緒にいるのは気持ちが悪い。
とかなんとか考えてしまう時もある。
そんな感情も社会に認めてもらいたいなぁ。