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家庭の教育レベルは言わずもがな、文化レベルも大事だと思う

自分の家庭は教育レベルはそこそこだけど、文化レベルは大したことなかったな、と思う。

生きていくうえで文化レベルは必ずしも必要ではない。でも必要な人には必要なものだ。僕は欲しかった。

こう言う例を見ると、つくづく自分の過去が嫌になる。

もちろん、この事例が家庭の文化レベルが高かったことに起因するかどうかは分からない。

しかし、家庭自体の文化レベルが高い方がアドバンテージは明らかにあるはずだ。

小さい頃から読書は好きで、小学生の時は「青い鳥文庫」、中学生では江戸川乱歩夢野久作の作品をよく読んでいました。

中学生になると、サブカルチャーに熱中するようになって、ミリタリーにはまりました。ネットで軍歌をよく聴いていたので、その流れで高校1年生の時に、ソ連の国歌を聴いたんです。

その国歌に衝撃を受けて。それまでロシア語に触れたことはなかったけど、すごくきれいな言葉だなと思いました。そこから歌詞を調べていくと、国策的な音楽だということが分かってさらにビックリして。「こういう国歌がある国って、どういう所なんだろう」と興味がわきました。

僕は小学生のころから、豊富に揃っていたゲームとインターネットを適当にやってたおかげで、順調に知能は高まったし、教育レベルは高かったのでいい子ではあった。

でも僕が初めてまともに本を読みだしたのは、中学生の終わりからで、ラノベに始まり、ようやくミステリ紛いの小説を読んだのは高校生の中頃だったと思う。

三大奇書と言うくくりを知って、夢野久作を読んでみたのは大学生になってからだったし、その面白さを理解することすら全然できなかった。

中・高になってようやく自分の意志で音楽を聴き始めた僕は、どういう訳か洋楽をまるで受け入れられなくて邦楽しか聴いてなかったし、ヴィジュアル系バンドにハマって落ち着いてしまった。

興味のあるものがろくにない僕は、頭は良かったからという理由で理系にいて、何でも学べそうなそこそこの大学を選んで、何も学べないまま大学を卒業した。

健全な精神の持ち主は、頭が良ければそれで上手く社会に適応して、華やかな大人になっていくのかもしれない。

とてもじゃないけど健全とは言い難い精神の僕は、歳をとればとるほど拠り所のない自分自身に押しつぶされていくばかりだ。

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